マンガばっかり

マンガ批評

天然コケッコー


★★★★★
くらもちふさこによる島根の山村に住む中高生カップルの話。
これまでに多くのマンガを読み、多くの魅力的な女性が描かれていたとは思うけれど、「好きだ」と言えるのは右田そよだけ。
二次元だということはわかっていながら、その面影を探して浜田市に行ってみたいなぁなどと思ったりもする…
しかし、いいのはもちろんそよだけじゃない。
大沢君もシゲちゃんも伊吹も篤子も… みんないい。
で、その魅力は何だったかといえば、性格というものはそれぞれに持ち合わせていながらキャラ立ちしていなかったことではないかと思う。
例えばそよは、面倒見のいい子ではあるのだけれど、その後で大沢君に会う約束があると、「うわぁ、メンドクサイなぁ!」とキチンと思う子に描かれている。
大沢にいちゃんと姉のそよちゃんに、まるで家来であるかのようにして後をついて回る浩太郎も、中学生になると自分の価値観、自分の生き方を持つように描かれている。
イナカがパラダイスであるとは一言も書いていないし、作中人物の誰もそんなことなどは思っていないながら、あぁ、やっぱりここがいいな、と思っているというのが全編に渉って感じられるのもよい。
つまりはリアリティということなのだが、そこがしっかりしているから、高校進学にしても浮気事件にしても、我がことのように感じながら読み果せることができたのだと思う。
ただ、唯一納得できかねるのは最終章。
大沢君が、あのまんま東京から戻ってこなければ、ヒジョウに感じ悪い結末になってしまうので、やはりあそこで島根に戻ってこさせたのはよかったと思う。
ただ、大沢君が虫の声をきっかけにして島根に戻る決意をしたというのは、高校2年生の世界観からして、それまでの大沢君の言動からして不自然すぎると思うのだ。
東京からなかなか帰ってこなかったのは、もちろんゲームセンターの魅力などではなくて、父母との生活について、東京での生活について、自分なりに考える時間が欲しかったからだと思う。
もちろん、そよを大事に思う気持ちが一番にあったとしても、まさか経済力もない高校生の分際で、そよのために島根に残るなどと言い出せるはずがない。
むしろ東京に残り、「早く出てこいよ」と言うのが大沢君的だったのではないだろうか。
いや、大沢君じゃなくても、大学進学を考えているそよが東京で大学生活を送る可能性も十二分にあるのだし、同じ状況におかれたカップルがいれば、まず90%くらいはこう判断するのではないかと思う。
そもそも大沢君が島根で生きていかなければいけない理由はほとんどなく(もしかしたらじいさんと農業をする?)、そして過疎地である島根の状況からすれば、実はそよさえも島根で生きていかなければいけない必然性などないのである。
であるから、大沢君が島根に戻ったのは、両親と暮らす面倒さ、そして島根に祖父一人で生活させることに対する不安。
この2つの大きな理由に、そよのことと、もしかしたら島根の風土というのも加わった… というあたりであったと思うのである。
もちろん、そういうこと全てを含めて「こっちの三年間で身体にしみついてしまったモン」と大沢君が表現したのかもしれないけれど、そういうレトリックを駆使できない人間として彼が描かれてきた以上、やはり違和感を感じないわけにはいかないのである。