マンガばっかり

マンガ批評

闇金ウシジマくん


★★★★★
真鍋昌平による闇金を舞台にしたマンガ。
ナニワ金融道」(青木雄二)で描かれていたのは町金だったけれど、今度は闇金
これが実態なのかどうかを確かめる術もないが、町金などでは金を借りることのできなくなったヒトが頼る最後の最後の金融機関が闇金なのは確からしい。
トゴ(10日で5割)という高金利なので、もちろん法律違反。
当然、警察やら弁護士やらヤクザやらという人々との関係も出てくる。
ナニワ金融道」が、最初は町金に関する小ネタを使った短篇読み切りといった感じであったのが、だんだんと法律やら人間やらを絡めたドラマに発展していったのと同じように、本作も連載開始早々は、コワモテの闇金社長(23歳)がウサギを愛する男であるというギャップや、甘言で闇金の世界に引き入れながら、厳しく取り立てるという残酷さをウリにしようという感じだったようだが、だんだん世の中がそれほどに一面的でも単純でもないことに作者自身が気付いていったような気がする。
とにかく読んでいてひたすら沈んでくるマンガである。
全くヒトゴトではないという感じで、自分自身もいつこうやって追いつめられるかもわからない気がして、嫌な汗をかきながら読んでいた気がするのだが、かといって途中で投げ捨てる気にもならずに9巻まで読み進めた。
そして9卷の終わりになって「う〜ん」と思わされた。
はまってしまった人達の行き着く先として、こういうパターンもありなのかな、と… 
現実はそんなに甘くない、と言われるかもしれないが、むしろこっちの方が「リアルな現実」なんだと思う。
以前、やりたい放題の残酷さを描いているかの観がある「ザ・ワールド・イズ・マイン」(新井英樹)を、単純でナイーブすぎると批判したのだが、人間の行き着く先というのは、いつも「死」であったり、「殺」であったりするとは限らないし、「限界」というのをそうしたイメージでしか捉え得ていないのは、結局のところ、現実を見ているようで空想しているだけなのではないかと思ったのだ。
さて、紙屋研究所(http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/menu.html)では、この本を呉智英戦後民主主義社会批判の文脈で評価していることについて、「「ダメ人間」や「消費社会」という言葉で説明する「軽さ」にぼくはどうしても同意することはできない」と批判を加えながら、本作に描かれた相対的貧困や低学歴に着目して、「まさに「貧困」を描いた漫画である」と評価していた。
半分納得できるけれど、この「貧困観」もちょっとズレているのではないかなという気もする。
例えば、低学歴というけれど、大学を出たからと言って、それが大きな説得力を持つような時代では、とうになくなっていると思う。
ただ、「学校に通い続ける」という苦行に耐えることができた人なら、バイトであれ会社であれ、なんとかやり通すことはできるし、闇金に手を出すところまでの独創性もなければ勇気もない… つまり、問題はハビトゥス(=本人にはそれと自覚されないうちに蓄積されていく思考、行動、感覚等の根源となる性向)だと言った方が当たっているように思うのである。
相対的貧困についても、やはりハビトゥスと言った方がわかりやすい。
他人にはバカにされたくないとブランドもので身を固めるのも、ブランドもので固めればなんとかなるのだと思う価値観も、いつしか形成されてしまったハビトゥスの故ではないだろうか。
なんていうと、また単純化しすぎだと言われそうだが、価値観の多様化と共に個人の自由判断の領域が増し、それぞれのハビトゥスと社会性というものの齟齬が自他共に気付かれにくくなった、ということではないのだろうか。
たしかに本作には貧困が描かれてはいるのだが、登場人物たちはそんな状況でも携帯電話は手放していない。
エンゲル指数よりも情報端末の方に価値があるのが現代の「貧困」なのだろう。
それは自分の趣味は確保しておきながら子どもの給食費は払わない(払えない)親の出現にも通じていると思う。
今、貧困とは何なのかについての明確な定義はできないが、少なくともそうしたことを考える上での実例が、ここではたくさん出されていたように思う。