マンガばっかり

マンガ批評

おやすみプンプン


★★
浅野いにおが現在連載中のマンガ。
主人公のプンプンは何の説明もなくヒヨコ(?)。
変な神様やらなにやらも登場するが、これについても何の説明もなく、しかし、ストーリーはフツウの町のフツウの小学校を舞台にフツウに淡々と展開している… というもの。
最近、若い人の間で浅野の評価が高まってきているように思うが、私としては、以前からあまり高く評価していなかった浅野いにおを、改めて評価できないな、と思うに至った。
いや、今までの作品よりもうまくなっていると思う。
しかし、それだけになおさら問題点が浮き彫りになってしまっているように思えてならない。
身も蓋もない言い方をすれば、この物語は「子どもの心は繊細なんだよ」ということをメッセージにしているんだと思う。
しかし、対比的に描かれるオトナの世界というのが、プンプンの父が無邪気に傷害事件を起こしたり、教頭と校長がかくれんぼをしたり、母親が変な新興宗教にはまったり、担任の教師がいつもつまらないギャグを繰り返していたり… と、きわめてバカバカしく、侮蔑的な視線によって単純化されて描かれすぎているのだ。
子どもたちにとって目につきやすい「権威」である担任、校長、両親といった存在を必要以上にこき下ろすことで、相対的に子ども世界が繊細だということを表現しようとするのは方法として貧困だと思うし、欺瞞だと思う。
何も既成の権威が偉いだなんて言いたいわけではないが、こうやって崩したはずの既成の権威の向こう側にある「大日本帝国」などというような大きな権威と一体化しよう/一体化できると安直に夢見ているこの世代に顕著になってきた感性の方が、ずっと問題だと思うからだ。
そしてそれは、とりあえず「世界」を否定しておいてから、その向こう側にぼくと彼女が守る美しい<セカイ>があると幻想するセカイ系とも繋がっているように思う。
なぜこうした幻想がいけないのかと言えば、そうしたイデアの国というのが、案外簡単に成立してしまうからだ。
しかし、誰もきちんとそのイデアの国の構造を考えているわけではないので、当然のことながらその造りはいい加減で、様々な勢力が妥協に妥協を重ねながら作り上げてきたこの矛盾だらけウソだらけの現実世界よりも、もっとうさんくさくて、いい加減で、誰の利益にもならないものでしかないからだ(それは何の苦しみもなく生まれた安倍内閣、そしてその反動で現れた参院での与野党逆転状況… こうしたイデアだけの国家像がいかにうさんくさいかを思い出してもらえればすぐにわかるだろう)。
プンプンが一言も発しないヒヨコとして描かれ、自分の感情は卒倒することとモノローグでしか表現しないのも、生々しくなってしまいがちな人間関係を描くことから逃げているだけで、そういう苦し紛れで取られているだけの手段を、まるで新しい意匠であるかのように描き、それを新しいとかカットンデルとか言って評価してしまうような人が多いのは、実に困ったことであるように思えるのである(新井英樹の“倫理”とほとんど同じ、空疎なものだと思う)。